少しずつ前を向いていきたい

精神疾患歴20年経過した私が、社会に復帰するまでの備忘録。

見守る夜。

まだ夜はそれほど遅くない時間ですが、

眠い母。

まだ寝るまいとテレビもつけたまま。

寝始めているので、テレビを消して、

寝ましょうねと消灯をする。

最近こんな日が増えてきました。

 

実家にいた頃は家族全員で過ごしていたので、

朝早く出る弟に合わせて、

朝5時前に起きていた母。

6時に出る弟を見送る毎日でした。

今は弟も別々に住むようになり、

多少朝はゆっくりできているかなと思います。

 

たまに弟と話すと、

家を出るのをもう少し早ければよかったかな

なんて話をします。

確かにそのほうがよかったかもね

と応える私。

実家にいる際も、

実はちょくちょくアパートを借りたいと、

某賃貸サイトをよく見ていました。

まだその頃は母と一緒にとか、

そこまでは考えられず、実家から脱出して後から母を連れて…

とか色々頭の中をぐるぐるしていた記憶があります。

 

昨年からアパートを探し始め、合間に内覧などをし、

私の今できる能力でなんとか借りられたことで、

母を実家から脱出させることができました。

もう最後は無理矢理でした。

このタイミングでないと出られないと感じ、

準備ができないまま、母を連れ出し、

後に弟も脱出させました。

 

年齢を重ねるごとに荒くなっていた年寄り。

私が間に入る事でなんとかなっていましたが、

それも限界だなと思い、

そこから母と一緒にと考え始め、

合間に連絡しながら母を少しずつ準備させ…。

今その疲れが一気に来ている気がしますが、後悔はありません。

母を送り届けるときには、行ってらっしゃいと声をかけて、私も帰宅します。

 

実家を出て約半年。やっと慣れてきました。

あとは経済的に安定させる事、

母の調停が終わりを迎える事だけになり、

私は体調管理をしながら、就活に入り始めました。

 

母も今まで大変だった分、ゆっくりして欲しいと願う私です。

昨年の状態ではとてもじゃないけど、

実家にいることは厳しかった。

正月早々、揉めていましたから…。

それも年賀状の宛先を書く書かない

それだけ。

年寄りの字は汚いので、恥をかくから書きたくないと母に暴言を吐いたのです。

いやそれくらい自分で書けよ

と言うところでしたが、母に対しての暴言がエスカレートしてしまうのが辛く、

その時は私が書きました。

なんとも恥ずかしいことです。

 

今は以前よりゆっくり寝られているといいのですが…

母がゆっくりできるなら、私も安心できます。

今日もゆっくり休んでね。